思考がまとまらない

ここ最近いろいろ考えてた。

だけど思考がまとまらない。頭の中で整理するのも限界が来てたので一旦、文字おこししてみる。長いし、まとまりが無いので興味が無い人は読まなくて良い。

馬場さんの死生観について読んだ。その中で自殺とかそういうのも考えていた。自分も昔から自殺についてよくいろいろと考えていた。割と自殺願望はあった。思春期の頃から、そして、30歳になる前に海外で行方不明になるような形で自殺しようと。だけど結局30歳になった。そんで今、自殺したいのかというと思っていない。理由はもう少し生きてみてから決めても良いんじゃないかと思ったから。

確かに生きることは苦しいと思う。生まれつき病気を2つ持って生きて、しかもそれぞれになんらかの制約がついてしまい、いろいろとできないことも多かったからだ。できるのにできない苦しみ。また、肉体的・精神的ともに痛みを伴いやすい病気でもあるだめ何度この痛みに耐えないといけないのかと理不尽に思ったこともある。そうして無理矢理、肉体的や精神的な痛みをごまかした結果が30歳無職の独身おっさんになったのである。

だが、それでも今死にたいとは言えない。何故なら以前より楽になったからである。自分の病気をいろいろ調べつつ、その症状が出ないように気をつけていたから、ある程度に関しては大体、ヤバくなる前に自分で対処できるようになったこととそういう環境にしたからである。それは精神的に肉体的にも両方にでもある。今年の夏は酷暑なこともあって久しぶりに症状が出まくった。だから月の半分は鳥取に避難してた。そして精神的にやばくなったら今度は真庭に戻って引きこもるという。そうやってヤバくなる前に対処してたから生きるのが少し楽になったのだ。

だが、季節や時間は止まらない。はっきり言うと自分は季節が嫌いである。春も夏も秋も冬もどれも嫌いである。というか季節が巡るのが嫌いなのである。大学時代はこれが本当にひどかった。それは多分、高校時代に留学生との交流会とその関連のイベントによく参加してたことが大きく、今でもその思い出がたまに蘇えるからだと思う。そして当時の人たちにはもうほとんど会うことはなく話をすることも無いだろうとくくってるからだろう。正直、自分にとってのハイライトはまさしくそれだったが同時に辛いことも一杯あり、結局はあれで人との繋がりがどんなもんだったかを認識してしまったのが大きかった。だからかもしれない。自分でも冷めた人間で他人に興味が無い時が良く出るのだ。

季節が巡る度にそれを思い出す。辛いことは時間がたてば楽になるよという言葉がある。確かに楽になったがそれはそのハイライトが段々忘れていくし、覚えていくものがどんどん出てきてるからであって、残念ながら完全に消えるもんではないからだと思ってる。

自分は薄情な人間だと思う。親や家族に対して、全く感謝の気持ちも無い。むしろ馬場さんが言ったように「よくも産みやがったな」と思うほうだ。だからか他人に関しても面白そうじゃない人や自分に害を与えるような人にはばっさりと無視するし黙ってろってなる。というか自分の時間を奪うなという風になるのだ。

自由な時間は有限だが、ありすぎると逆にきつくなる。何故なら無駄に思考を巡らすからだ。そして最悪、妄想に逃げやすくなる。発達障害の一つにデイ・ドリーム型というのがあって昼間から夢を見るように妄想をして日常的なことに手がつかない傾向があるというやつである。自分は時々この症状があった。勉強に手をつけなかったのもこれが多く、高校時代は成績が散々だった。最近はようやく、思考をめぐらせるだけに留まっている。だが、それは段々と巡らせたものが形になりつつあるからだと思う。

家族と縁を切ったことは家族制度な日本の社会的にいろいろと制約がつくが後悔は全くしてない。吐き気が全くしなくなったからだ。春に荷物の関係とかでいろいろとやらないことがあって戻ったが毎日ほとんど吐いていた。それも胃液しか出ない状態になってまでだ。実家に近づく事に段々と吐き気がしててそして運転中にかなり来て、道端で吐くこともあった。そのくらい自分には精神的なストレスになっていたのだ。それでも何故親と縁を切るなと言うのだろうか。親と縁を切った事に対してバカか、アホかと言われなければならないのだろうか。

言葉ほど凶器になりやすいものはない。本人に自覚が無いからこそ余計に性質が悪い。僕は言葉で自殺したやつを見た。そしてそれが悲劇的に後追い自殺まで発生し、結果的に2人が自殺、学生時代の知人とその友人が自殺未遂にまでなった。その発端はLGBTへの軽いジョークやネタでそこから批判に繋がったのだ。僕はLGBTではないがそのネタとかの会話にはやはり嫌悪感を感じるのに否めない。中途半端に聴こえててそして聴こえなくなった今、冗談というのが更に嫌になりつつあった。だから、言葉ほどいかに凶器になりいやすいものはないのだろうと感じている。

蒸発をしたのはこれが原因だった。23歳の時で東日本大震災の後のことだった。この自殺騒動と他にも聴覚障害に関する悩みが長い間溜まってて、それを他人に打ち明けることはほとんどできなかった。それほど人間関係にも冷淡だったから。そして東日本大震災が起きた。自分も2週間停電をくらったが震災の辛さや悲しみはほとんど無かった。それまでのほうが辛かった。だが、震災で苦しんでる人や悲しんでる人も一杯いてとても言える状況ではなかった。それがいろいろ溜まって遂に爆発した。半年ぐらい蒸発した。それまでの人間関係切れても良いほどだった。

その時に家族と難がある人たちと会った。虐待で刺されたから刺し返した人にも会った。あとで知ったことだが日本の殺傷事件の半分以上は親族間内だった。家族制度とは一体なんなんだろうとその時にようやく思ったのだ。今や80000人以上は行方不明になっていて年々増えている。というか捜索願いが出される。そして大半が家族と難がある人で届けを出すのは家族か職場の人だった。警察も事情からか、実はあまりまともに捜索しないこともある。そりゃそうだ。捜索されたほうからすればよくも邪魔しやがったなと逆恨みされるからだ。更に言えば人数が人数だ。そこまで人を割けないだろう。

SNSでの捜索願いはなるべく控えたほうが良い。自分も蒸発した時にTwitterでやられた。幸い、タグ付いてなかったのと当時はそこまでTwitterがやってる人が多くなかったから拡散されてないが残念ながら今でも残っている。最近は捜索願いのやつ拡散されているがそれでも自分は絶対に拡散はしない。迷惑でしかない。

それまでの人間関係はほぼ崩壊した。そりゃそうだろうな。ある日、突然やったしいろんな人に迷惑かけたから。当時持っていた携帯置いていって、親がアドレス帳に登録してる人に片っ端から電話しまくったし。あとで何人かの知り合いに「心配してたんだよ」と言われたが、自分は悪い悪いと謝りながら結局はそれで?だから?と、しか思わなかった。そこまで冷えていた。それほど自分の悩みとかを言える間柄じゃなくなってた。

健常者と障害者にはやっぱりどうしても埋まり切れない溝がある。仮にあって、その溝を超えた同じ場所で生きてても見ている世界は違ってた。だから余計に言わなかったんだなって思う。自分が長い間抱えてたものが。そして障害者で更には難病者でもありながらずっと健常者と同じ場所で生きてきたからこそ、世界が違っていた。だから人間関係にも冷めきってたし、社会に期待もしてなかったし、生きたいとも思わなかったんだろう。そして退屈になってて自殺願望もあった。

そういう風に思ってたらある日仕事がもう嫌になっていきなり辞めた。限界が来てた。障害のことに理解が無く障害のせいにするなという上司や同僚、仕事上での客先との駆け引き、見積もり開発、受注にまで至らないという。部門は赤字、自分以外に障害者はいない。やることの繰り返し。退屈になってた。結局、早めに仕事を辞めて旅に出た。

旅に出ても退屈さは変わらなかった。嫌、もっとひどくなった。時間だけが過ぎていくのに、時間はいくらでもあった、それが退屈だった。退屈は苦しみだ。知人もそう言ってた。気持ちは分かる。退屈は本当に苦しみでしかない。何かの景色を見ても特に感動もしなかった。残念ながら。観光もつまらない。文化的な差別はどこにいってもある。いつになったら社会はよくなるのだろうか。

そして聴覚障害に関する事情も残念ながら知ろうとする人はほとんどいなかった。例え親族内に聴覚障害者がいてもだ。聴覚障害に関する文献は割と似たり寄ったりで更に言えば心理学的な部分を見てしまうとああって容易に想像できてしまうことだった。情報を手に入れるために、文献は本屋に中々出回らないことがあって入手しにくくかった。こんだけ本があふれてるのに!って。ネットでも手に入りにくかった。

そうして調べていくうちに自分は聴覚障害者でもやはり珍しい方だった。インテグレーションのエリート。いわば健常者の世界や学校でほぼ健常者と同じような教育で成功した聴覚障害者だった。つまり、日本語がちゃんとでき、健常者と結婚や一般企業に就職できた聴覚障害者だった。そして少数しかいなかったことだったらしい。そして比喩表現でもあった。何がエリートだよって思った。

僕は自分がなぜこんなに苦しまないといけなかったのか、何でこうなったのか知りたかった。特に聴覚障害は精神的にもかなり影響してたから。そして、ようやく分かったのだ。去年、ある人に会ってその資料が手に入った。それが「口話教育の父」だった。これは僕や氷川さんが受けていた統合(インテグレーション)教育の元となる口話教育がどうしてできたのかと、それを作った人のお話という本だった。読んで正直いたたまれなかった。

これができたから口話教育で大半の人が言語獲得に失敗して苦しんだのか、後に統合教育が出来てそれに大半の人が同じように失敗して苦しむ人が出て、更にインテグレーションのエリートでも違う世界にずっと生きていた苦しみがずっと表面化に潜んでたのかと思うと本当にいたたまれなかった。この教育は今でも議論の的だ。手話教育派からすれば排除しろという考えもある。めんどくせぇ。そんな感じだ。僕はこの教育を受けた事は日本語の言語獲得で言えば良かったと思っている。だけど心理学的な部分ではやはりうーんってなっている。

僕は少し聴覚障害に関する情報集めに少し疲れている。自分でもいろいろと向き合うこともあるから。情報を集めようにも複雑すぎて、一向に解決しない問題ばっかりでもあるし、未だに答えが無いからだ。そして本質的な部分で言えば心理学と言語学、社会学でしか言えないのだ。それがいろんな形で出てるから複雑になってるんだろうと。だから個人差が大きいとも言われてるんじゃないかと。

内田さんが障害者向けのシェアハウスを作ろうとしてたのは正直嬉しかった。それはやはり自分が聴覚障害者としての知識や体験を彼に伝えることができたからだ。二年間の旅で聴覚障害に関するのはたぶんほとんど伝わらなかったな。というのが自分の見解だと思ってたし。というか今、自分のことで精一杯な人たちが多いのもあるからなんだろう。誰かが言ってたな。余裕がないと切羽詰まりやすく周りが見えにくくなるって。そう思う。

思考がまとまらない。すぐ考えてしまう。だからか少し作業に専念したほうが良いと思った。変に考えるのを少し強制的に止めないといけない。DIYとか身体を動かすのがやりたいんだろうと思う。しかし、パーリー建築は今は、無報酬だ。ちょいキツイ。未定だがいつか仕事入るとは言ってたがそれまでの間どうするか迷っていた。だから少し出かける。それが仕事に繋がるかは分からん。形になりやすいことを頭で考えれば妄想も収まりやすい。とりあえず生死について考えるのはここまでにしといて行動すべきなんだろうな。