聴覚障害者の宿泊拒否の記事について

こんにちは。流です。

聴覚障害者の宿泊拒否 熱海市の施設「専用施設利用を」

聴覚障害100人の宿泊拒否 

先日挙がったこのニュースで自分の周りでも何人か取り上げられたので自分なりの意見をまとめます。

結論から言うとどっちもどっちだと思うしこの記事の内容からだと推測の範囲でしか言えないがどっちもどっちだし(大事な事なので二回目)更に言えば日本の闇を感じるというのが自分の見解です。そこにあたる理由をいくつか挙げていきます。

よくある言い訳を使う

「緊急時や災害時に対応できない。」つまり何かあった時の責任が取れないことを言い訳に拒否するということです。これは何も今に始まったことじゃなくて割とどこでも使われます。例えば、大学の入学試験に落ちるとか、(実体験済み)仕事とかでもそうで、施設の利用を断れるのによく使われるんですね。更に言えばスキューバダイビングやスカイダイビング、バンジージャンプも同じようによく断られることもあります。(気圧とかの変動とかの懸念上もあって医者の診断書、つまりやってもいいよーというお墨書きが必要なとこもある。そしてこれに素直に診断書を書いてくれない医者もいる。何故なら書いた以上悪化したときの責任が伴うから)

受け入れに対しての対応策を考えられなかったのではないか

で、じゃあ実際に受け入れた時にどう対応するのかそれをちゃんと考えられなかったのかということである。例えば火災警報器は確かに聴こえないこともある。だから目視できる赤いランプが光りまくる警報器(パトランプとか)をつける、あるいは振動型の警報器を団体の何人かに持たせるということである。そういうところで対応していくしかないのである。

何故対応策がすぐ出ないのか

では何故そういう対応策がすぐ出ないのか、まさしくこれが日本の闇を感じさせてしまったことだと思う。つまりマニュアル対策しかしてなかったのではないのだろうかと思うのである。そしてマニュアル以外は拒否や除外という考えがあったことも大きいのだと思う。こういう施設は本当にそういうマニュアル典型の所が多いと思う。またこのことから過去に一度も泊めた事は無いのだろうかと考えられるのである。

規模が大きく交渉が良くなかった

今回の件は約100人と宿泊にしてはやはり規模が大きいということ。更に問題なのは全日本ろうあ連盟青年部から静岡県聴覚障害者協会に依頼したこととそこから手話通訳者を介して宿泊の希望をしたということである。つまり間に挟みすぎたこともある。こういうのって妥協案とかそういうのが通りにくいんだよね。中間に挟みすぎたのもあるかもね。100人規模ははっきり言うと泊めた事ないとこならちょいと難しいのもある。

お互いにイメージを偏りすぎでは無いかと

聴者と聾者でははっきり言って世界が違います。お互いにそれぞれの暗黙の了解があるわけで今回はそこのズレも大きかったと思います。例えば聾者は聾者なりに普段、自宅やろう学校では音以外の警報器をつけてることもあるかと。しかし、それがどの施設にもあるわけでも無いということもあるわけでして。そういう部分で聴者の世界に慣れてない部分もあるわけで。逆に聴者も聴者で聾者や聴覚障害者の実態がほとんど分かってないこともあるのではないかと思う。

実際、社会では聴覚障害者に会う人ってどのくらいいるんだろうね。中には一生会わない人もいるんじゃないかなって思う。つまりね、報道や義務教育の聾学校とか社会でも聴覚障害者って隔離されやすいし認識されにくいんだよね。現に氷川さんは何回かテレビでも取り上げられてるんだけど彼が聴覚障害者だということを報道したとこは見た事無い。あのデヴィ夫人が関わった番組でもたぶんそうなんじゃないかな。

 

 

聴覚障害者ってよくよく見れば身近にいることもありえる

で、先ほどテレビでも聴覚障害者だと報道しないということは言い換えればテレビに出てる人でも聴覚障害者の可能性はあるということである。そうなると身近に案外いるのかもしれない。というか聴覚障害者は他の障害者と比べても社会に割と入ってるほうだと思う。だからこそ障害の度合いや苦しみが見えにくくまた認識されにくく聴覚障害者の実態をちゃんと見ない人も多いのだと思う。これは旅してた時本当にそう思った。身近にいる人でも聴覚障害者が裏でどんなところで苦しんでるのか考慮したことは無いという人もいるのだ。

 

筆談は確かに通じやすいが必ずとも通じるとは限らない

で、まぁこういう風に疑問感じてる方もおるよね。うん。実は日本手話を第一言語にしてる聾者だけじゃなく僕や氷川さんみたく普通校に行ってた人も聴覚障害者全体で日本語が完璧じゃない人も一定数以上いるんだ。(これは聴覚障害者でも厄介な問題で教育問題でもあがってるし何十年以上も議論の的になってる)だから話が時に通じにくいこともあるし、筆談でも通じにくいことがあるんだ。更に言えば緊急時は筆談はすごくしにくく面倒でそれどころじゃないと思う。しかも口で言うより5倍は時間がかかるからだ。試しにサイレントデーとかイベントやって実際に筆談してみると分かるよ。わずわらしいと感じることあるから。

 

二重否定や部分否定が伝わりにくい

今回、手話通訳を介して依頼したことからこれも懸念事項だと思います。例えば「できなくもない」「するとは限らない」という二重否定や部分否定は実は手話では表現がすごくしにくい問題で更に言えば日本手話を第一言語にしてる方には使わない表現です。受け入れの対応はよくこの表現を用いて曖昧にする方も割と多いと思います。二重否定や部分否定を使うのではないかと。しかし、それは残念ながら伝わりにくい表現でもある故に話し合いの場も設けにくくできたとしても妥協案の話を進められなかったのではないかと思う。

協会側もどこまで妥協したか

協会側も施設使うに当たってどこまで宿泊費出すのかそういうのも考慮してその施設を選んだのかだし、また、ろうあ連盟からそういう指示があったのかもだし、ろうあ連盟も連盟でどこまで色々したのかが不明で一概にどっちが悪いとも言えない。だから別提案も提示されたわけなんだろうと思う。

聴覚障害者の避難はかなり厄介な問題である

これは未だに本当にそう思う。岩手宮城内陸地震、東日本大震災と2度の震度6強以上の地震と今回の西日本大水害を味わった自分としてはやはり未だに厄介な問題だと思う。未だに放送でしか避難指示しないとこもあるのだ。現に東日本大震災では多くの聴覚障害者が津波の放送を聴けず亡くなったこともある。

だから今回の施設側の対応も正直自分は分かる。ましてや100人の規模だ。聴覚障害者自身も自分でそういう情報を得る工夫もしないといけないし、使う施設側にいろいろとこうしてほしいとかどうしてほしいとかやらないといけないしそういう声はあげるべきなんだと思う。だから今回、間にいろいろ挟みまくったからちゃんとそういう所でもお互いに歩み寄れなかったんじゃないかと思う。

具体的な対応策

僕だったら例えば事前にメモ用紙に地震です。火事です。津波が来ます。なので避難してくだいという紙を用意するようお願いしてそれが起きた時にその紙を見せること。あと万が一の避難先を事前に確認しとくべきだと思う。そういうのを施設側が当たり前にやってくれるだろうと思わないこと。日本は本当に聴覚障害者が生きにくい世の中だから生きる術をもちつつ提案すること、そして対応策が定着してそこに今後とも生きるようにすべきだと思う。

それでも断られたら今回みたいに然るべきところに報告しないといけない。めんどくさくてそのくらいにならないと動かないとこもある。今回の記事ではそこの内容が本当に分からなくて推測でしか言えん。ただ、100人はやはり規模大きいよなぁって思う。だからどっちもどっちだと思うのよ。

今回のは普段から聴者障害者と聴者が接してないからお互いに歩みよれなかったのもあるし、社会がそうさせたのもあるし、マニュアル通りとかそれ以外は除外とか、避難の問題は未だ解消されにくいこととかなんかもはや日本の闇を感じるのである。

ちなみに僕は避難の情報は基本ネットでいろいろ見てる。まぁネット使えなくなったら終わりなんだけどね。あと、シェアハウスにいる以上管理人さんが今回の川の氾濫による水害の避難の情報をくれたことには有難かった。たまたま僕は鳥取に行っててそれが結果的に避難という形になったのだが。(幸い川は氾濫せず住居は何とも無し。)

では。