親と縁を切ることにしました

こんにちは。流です。

ここ数ヶ月ロクに更新もしていませんでした。やはり親と縁を切ることにいろいろと考えてたからですそしてどう切り出すのかまた納得させることができるカードをどう用意するかも考えていました。正直、事の顛末に当たってそれを記事にすべきかどうか迷っていましたが、やはり書くべきなんだろうなとも思い、そうなった事情について書きました。まず、縁を切りたい事情を挙げていきます。

 

間接的に自分の耳と兄の耳、精神を壊した

前の記事にも書きましたが母がやっていた音が苦が自分と兄を苦しませることになり、結果的に自分だけじゃなく兄の聴覚も悪化しました。兄は自分ほど悪くはなく障害者手帳も持ってないですがそれでも以前に比べるとかなり悪化してきています。兄も自分も母親のやる音が苦は昔から受け入れることはできませんでした。そして自分が昔よく聴いてた曲を脳内メロディーで流しながら次第に少しづつ忘れていくのにのうのうと母が演奏してるのが本当に嫌になってるからでした。

親の人間性が受け入れられない

親以前に1人の人間としても尊敬すらできませんでした。嫌、この先、自分には悪影響しか与えないというのが長年の付き合いから分かっており自分にはもう関係を保ちたくないと常々に思ってました。それを親子だからといつまでも繋がってないといけないのかと思うと胸が苦しくなることがよくありました。

「だって」や「でも」が口癖で母が非を認めなかった

親と縁を切るに当たって、何で話し合おうとしないのかという声がありそうですが、実際に、僕は実家を出てから障害や難病のことや家庭での不満とか良くないとこも何回も言いました。しかし、母はほとんど非を認めようとしなく謝罪の言葉もありませんでした。そしてことあるごとに「だって」や「でも」をよく使い言い訳ばかりするのでした。そしてこの口癖が自分にまでうつってしまいたまに自分がこの言葉を出す度に気分が落ち込むのが嫌でした。

自分の考えや偏見を他人にまで押し付けていた

そしてこれが自分にはきつかったのでした。例えば目に悪いからテレビ買わない、ゲームダメとかそういうのもありました。それでも僕ら兄弟3人とも隠れてやっていましたが皆、視力は良く自分は両目ともに現在でも視力は2.0あります。また、大の放射能嫌いで僕が就職で原発関係のメンテ作業の会社に就職活動しようとしたら猛反対されました。偏見はこの場に限らず食事とかにも影響が出ました。

家庭内における食事に難がありすぎた

母は変に無農薬や身体に良い物にこだわる人でした。自分の病気のこともあって身体に良いからと変な水や錠の大きいクロレラ錠を無理矢理飲まされたこともありました。しかも作るものに味付けが薄いものが多く味噌汁は出汁が無い物もよくありました。ほうれん草等の緑菜類は栄養があるからとまともにアクを抜かないこともありました。そして貧乏だったこともあって残さず食べろと強制されました。自分は食べた後にトイレにこっそり吐くことをよくしていました。小遣いも無く外食とかもほとんど無く持病のこともあって当時は本当にガリガリでした。

また父が歯が悪いこともあって食べ物も柔らかいものばかりできんぴらごぼうやひきないりなどの煮物等、米などもかなり柔らかくて自分ら3兄弟全員八重歯になりました。成人してから八重歯治そうと思って歯列矯正のことを調べてみると医療費の高さと長時間の継続、痛みなどのことから諦めることになりました。その上で母の歯並びは綺麗なことに怒りを感じることがたまにありました。そしてこの八重歯のことに言及すると「だって」を言っては父の歯のせいにして、自分の非を認めませんでした。

こういった実家の食のことがあって反動がかなり強く実家を出てからは自分の食べたい物ばっか食べるようになってきてしまいました。そのせいか味覚にもかなり敏感になってしまい身体が受入れられない物も出てきました。

自分や兄の病気に関して無知過ぎた

母は僕らの病気に対してあまり知ろうとしませんでした。僕は幼少期から僕には病気があるのを嫌でも実感しつつ自分の病気のことに自分でも相当無知でした。特に聴覚障害における自分の反応や障害認識、心理状態は18の時になってやっと向き合うようになりました。何故、この年までそういうのを自分でも理解できなかったのかそう考えたら母も父もこのことに無知で楽観的な人だったからでした。だから自分は母や父に病気の事を相談することだけはしないと決めることになりました。

言わなきゃ分からないという声もあるでしょう。ただ、家族内でも病気を持つ人と持たない人では結局分かり合うことはできないのです。病気を持たない人に言っても分からないこともあるし、自分はもうそのことで母には理解してほしくは無いと思っており自分の病気に関してはもう何も言わないことにしてました。24の冬に悪化した時も親に連絡せず1年半以上黙ってました。(悪化したのを打ち明けたのは障害年金の申請書類記入でどうしても母の協力が必要だったこともあってやむを得ずでした)

母は承認欲求が強かった

そしてこれが特に嫌なことでした。自分が不幸になったのを他の人に同情してほしいとかそういうのが特に多かったのです。「私はあなたやこどもの為に」とか、「こんなに頑張ってるのに」が一時期口癖になってました。また、僕をよその家に連れてっては「この子耳が聞こえないし難病があるのよ」と言っては聴こえない自分を普通学校に通わせてる私エライでしょ。ここまで聴こえて話せるように育てたんだよみたいなのをたまにやっていました。僕が特に嫌だったのはこのことでした。承認欲求の道具に使われている感が凄く否めなかったのでした。

父や弟と喧嘩になることも多く、弟に殴られた時も僕や兄に慰めてもらいたかったのかすごく自分が悲劇のヒロイン気取りになってるのが嫌についたこともありました。正直、僕は弟が母と喧嘩して殴るのも無理無いなって思っていました。

だから、僕は正直、親には何で縁を切りたいのか、それだけは言いたくありませんでした。また、僕の病気のことも言わないようにしてました。それを同情のネタにされたくないからです。家族の不幸をネタに気を引かないでほしいのです。それで僕とは違って病気とか無いのに不幸事が好きで悲劇のヒロイン気取りしたり私こんなに頑張ったのにと周囲に同情を求めたり認めてもらおうとするのが本当に嫌でしたこんな記事書いてる自分も同じような事じゃねぇかって言葉も出るでしょうが。

家族や家庭というのは何なのか

自分はずっとこのことに疑問を感じていました。親族の中で自分だけが障害と指定難病を持ってて他の家族はほぼ全員健康(兄は昔喘息持ちだった)と違ってるし、うちの家庭自体もちょっと変だし、他の家庭と比べて見ても昔からずっとモヤモヤしてました。だから中学の時にも家出をしました。まさか自分がって思う人が大半の反応でした。その時に僕は家庭内の問題をいかに内面に潜めてて自分は優等生の振りをしてたことも分かりました。そしてそれは長い間潜めてるともっとギャップが酷くなることを分かった事でもありました。

旅中で出会ったある知人の話では「家庭は宗教で家族は信者だと思っている」だと言っていました。知人のこれは凄く分かる言葉でした。宗教でのしきたりに疑問を感じても問答無くそれを従うのだろうと。それは家庭でもそういう押し付けが少なくないだろう。そして中々縁を切りにくい場でもあるんだろうとも。

母は加害者でもあったが同時に被害者でもあった

というのは祖父は母が中学生の時に女と蒸発したのもあって祖母と曾祖母に育てられました。そして祖母が厳しかった人でもあってその反動で自分の思う通りに動く人になったのです。兄や自分たちが生まれてから祖父と母の間は和解したと思ってますが、母がこんな風になったのも祖父と祖母の影響が大きかったんだなと感じています。だからなのかもしれません。母方の祖父と祖母が亡くなった時、皆が泣いてる中、自分だけは泣けませんでした。やっと清々したと心の中で思ったのです。

自分の代で終わらせる

今後、家族の面でどうするのかと疑問になる方もいるかと思います。Twitterでも時々言ってますが、自分は子供は絶対作らないです。だから結婚しても子供は持ちたくないです。やはり母や父、祖父、祖母のこともあるし、何より自分には遺伝子優性(高確率で遺伝する)の難病を持っているからである。つまり自分の難病が子供に遺伝するということである。それを子供にまで受けつがせるのは苦しみを知ってる自分だからこそ酷ではないかと思うのです。そしてその苦しみを知ってるのに子供にまで味わせるのは一種の虐待でありもはやエゴでしかないのだ。家の関係は兄も弟もいろいろ感じており、やはり総じて自分の代で終わらせると考えているようでした。(真意は聞けませんでしたがそういう傾向や話のそぶりはやっぱりありました)

父も問題ある人だった

母の事ばっかり書いてて父の方はどうなんだと思う方もいるでしょう。父もかなり問題ある人でした。自営業でしたが土日しか店出さず、ニコチン中毒の脱法ドラッグ中毒でした。市販されてる薬を異常に飲み、それを飲まないとすぐイライラする人で母によく手を出す人でした(喧嘩はビンタとか殴り合いは日常茶飯事だった)自分ら3兄弟は父や母に殴られた記憶は無かったですが。で、一番嫌だったのは金をせびることでした。離婚しても同じ市内だったため家も分かられておりたまに来ては電気止まったんだよとか言いながら母や兄に金をせびりに来るのです。母や兄もあげるから味をしめてしまってたまに来るのです。そのこともあって一時期家に入れてた母への仕送りも止めました。母も父も本当に良くなかったのです…

いつまでも子どもは親のエゴを満たすものではない

自分にはどうしてもこれが強く感じます。形がどうであれ子どもは親のエゴを満たすものなんだと感じます。だから親も子供にいろいろとあれこれ手出ししたり口出ししたりするんでしょう。だけどもういい加減エゴを満たすような行為はやめないといけない。もういい加減、親は子離れをしないといけない。

愛情は確かにあった

離婚した父が言うには確かに母は自分たち3兄弟に対して愛情はあった。愛情をもってお前らを育ててきた。と、しかし、それは愛情があれば何でも良ければよいというわけではないということも意味をなしていた。もはや愛情の押し付けでもあったのである。時にはそれが嫌になり何らかの形で反発することもありました。僕は内面にずっと潜ませていましたが弟は逆にそれを顕著に表していました。殴る、貧困による万引き、家庭内での金銭の盗み、未成年でのタバコや飲酒などは日常茶飯事でした。弟は早めにバイトをして段々自立するのは目に見えていました。

日本の殺人事件の半数以上は親族内で起きている

先の記事でも書きましたがこれが事実です。僕はこの現実を知ったからこそ親に対して、復讐とか何も起こさないことを決めたのです。そしてこの事実は意外と知られてない。何故なら国にとっては家族制度の崩壊につながる事実だからであるからだ。家族=良い物だという絶対視はもはや妄想でしか無いのである。

何でこの記事をあげたのか

たまに親と縁を切るのは止めたほうが良いという言葉を頂くからです。その時に自分の事情をいちいち説明するのが面倒だからです。あと、この記事を見て大体は自分の都合ばかりじゃないかという言葉もあがってくるかと思います。そんなことで縁切るの?って。確かにその人からそんなことかもしれない。ただ、自分にはずっと長年抱えてたものが塵も積もって山となってこれがずっと続くのかと思うと嫌になるのでした。

僕は逆に家族のことにあまりにも楽観的に考えてる人がいてそれを僕に押し付けてくる人がいるのがたまに嫌になるのです。たぶん僕らの家族をよく知ってる人でさえ(いわゆる家族ぐるみの付き合いをしてる人)僕が縁を切ろうとしてることに驚くと思います。何故なら僕はそういうよく知ってる人たちに家族の内情や不満をほとんど言ってないしよく挨拶や世間話、飲みとかをしてたからです。つまり、ずっとそういう問題や不満を僕は内面に潜ませていたからです。

だから僕みたいに内面に潜めせてる人は僕だけじゃなく他の家族でも結構多いのではないのか?と思ったからあなたたちの家族でも不満ないのか?大丈夫なのか?いや、隠れてるだけじゃないのか?って疑問に感じているのです。聴覚障害者とその家族では不和が起きやすいの事実ですが、これは親が「うちは大丈夫よ」と、いう家庭ばかりでした。SOSのサインを見逃してることも多く、子供自体が親のそのことに対して理解してもらうことに諦めてることが多いからでした。

親と縁を切るに当たって

いろいろ迷いましたが親に自分の考えはやはり言わないことにしました。今回、住民票移して、もうメールとか全無視することだけにしました。一度蒸発したからもう自分が嫌になってるのが分かってるかなとも思います。ただ、それ以上に親に対してエネルギーを使いたくないからなのです。蒸発してた時や旅してていろんな人に会ったのですがやはり家族に問題のある方も何人か会いました。そして怒りや憎しみを持ち、死ねとか思ったり実際に何らかの形で復讐した人にも会いました。例えば背中刺されたから逆に刺して下半身不随にさせた人に会ったこともありました。(その方は家庭の虐待の事情もあって刑期は短く出た後に会いましたが現在は連絡取れなくなりました)ただ、それが終わった時にすごく体調を崩したり、張り詰めてたものが切れたりしてエネルギーを使い果たす方が多かったのも事実でした。

当初、母がやっていた楽器を全部燃やそうと思っていました。そうすれば確実に縁は切れる。そのくらい母の生活の一部になっており切れないものだから嫌われることだと。しかし、それは確実に自分にもしこりが残ることでそれをやると親もなんらかの形で反撃しかねないこともありえる可能性も出てくるのです。親に何かを言ったところで長年の付き合いで口論になるのは分かり切ってました。そのことにももうエネルギーを使いたくは無かったのです。はっきり言えば話もしたくなかったということです。理由を言ったところで僕や兄の耳、精神はもう既に手遅れなのだから。

自分は他のもっとひどい家族に比べてまだマシなほうかもしれません。だから怒りや憎しみがそんなに少なく表に出ないんだろうと思います。ただ、これ以上この関係に無理に付き合うことはしたくない。それは親子で家族だからこそもうこの関係を終わらせたいのである。母は確かに加害者であるが同時に被害者でもあった。だから俺は去るだけで後は何もしない。せめてものこれが俺の情けだと思ってほしい。

僕はずっと親に対する感情を内に潜めてました。思春期の頃から約20年間ずっと親と縁を切りたいとも思ってました。しかし、それは当時の自分には到底無理なことでした。今、長年準備してたものが積み重ねてやっとそういうのが実行出来る状況になったのでもう住民票の異動に伴い縁を切ることにしました。

親と縁を切るに当たって用意してたが出さなかったカード

最後に結局は使いませんでしたが親と縁を切るにあたって用意していたカードを以下に挙げときます。

①母がやってる音が苦の楽器を燃やすか処分する(母がやってるのはもう生活の一部なんで余程の事が無い限り止めない人だから)

②障害年金の申請遅れで受け取れなかった分の金額500万円を請求

③もう一度蒸発する(これはやりたくなかった。また人間関係を壊しかねないから)

④借金して連帯保証人に親の名を使って海外逃亡。(これもやりたくないです。ブラックリスト登録されるんで)

⑤親の口座から現金を引き落とす。(ご存知の方も多いですが家族間内での窃盗は実は刑にできないんです。法律の抜け穴なんです。ただ、逆にやられても地団太を踏むだけなんで諸刃の剣です…)

⑥縁切らないなら自殺する(これが本当に一番やりたくないことでした。本当に最終手段でした。)

それと、先日荷物処分の為に実家に帰ってましたが結局、ストレスが溜まり何回か吐いて予定より早めに切り上げて出ました。そういうことです。もう1秒たりとも長くいたくなかったし、親の顔すら見たくなかったということです。

「自分の道を歩むことを止めない。それが君の強さだ。」いつかの恩人に言われた言葉。だから、親に止められないように、変な道に誘導されないように自分の道を歩まないといけない。子どもは親のエゴを満たすための道具ではないのだから。

では。