耳が悪化して聴こえなくなってから5年が経ちました

こんにちは。流です。

タイトル通り聴覚が悪化して聴こえなくなってから5年が経ちました。具体的な日は忘れたのですがちょうど5年前の今の時期でした。先の記事聴こえない自分が旅を楽しめない理由にて旅に疲れてて時期的にもいろいろ思うことがあり、少しまとめようと思います。自分の聴こえなくなった原因についても書きます。

補聴器を使ってればある程度は聴こえてました

よく聞かれることがありますし、せっかくなので書きますが、確かに成人してから今の状態のように聴こえなくなってますが聴覚障害があるのは生まれつきです。で、補聴器を使ってればすごく聴こえにくいですがある程度は聴こえてました。(場所やその時の状況にもよるが)それで16の夏に右耳、24の冬…そう5年前の今頃に左耳がダメになりました。両方とも聴力は120db、もう音は音が鳴って振動が伝わるくらいでとても何の音とか言葉とかも判別できないくらいになっています。

朝起きたら聴こえなくなっていた

5年前の当時、その頃は仕事が一段落着いた頃でした。クライアントからの唐突な依頼と見積もりなどがあり、連日残業、休日出勤もあり、その仕事が終わった頃でした。(もちろん残業代や代休はありましたよ)そして、ある日、朝起きて補聴器を着けると違和感を感じました。ほとんど何も聴こえないと。最初は補聴器の故障かと思いました。しかし、16の時にやった右耳と同じ状況(朝起きたら聴こえなくなってた)だったことからすぐ病院に行って診てもらった結果、悪化していました。聴力は測定不能でした。(100dbを超えるとだいたいは測定不能な程悪いと診断されます。後に昔から駆け付けていた地元の病院で検査してもらったところ120dbでした)

耳が聴こえなくなったことは当初はそれほどショックではなかった

当時、デフリンピックのとある競技の合宿に向けていろいろ練習してた時期で正直ショックを受けているどころでは無かったのでした。病院に行ってステロイド療法を2週間やりましたけど結局、回復はしませんでした。そしてそれから2ヶ月ぐらい経って少し落ち着いた頃に部屋の掃除をしてたら持っていた2~300枚のCDやコンポに目がいきました。お気に入りのCDをセットしてヘッドホンを着けて再生のボタンを押しました。自分がよく聴いてた音はもう感じませんでした。高音や低温の違いとか何の音なのかも分からなくなってました。振動しか感じませんでした。その時に、ようやく、「あぁ自分は聴こえなくなったんだな」と悟りました。そして自分の好きだった音楽とかももう聴けないんだなぁと。それから程なくしてCDやコンポをほとんど処分しました。

悪化した原因について

さて悪化した原因についてははっきりと言った明確な理由はありません。聴覚障害以前に聴力、聴覚が悪くなる原因は実は大半が原因不明です。ただ、医者といろいろ話してそしてそれは充分にありえるかもと否定できない心当たりが2つあります。親が音が苦をやってたのがストレスになってたのと、自分が中途半端に聞こえることの苦しさから完全に聴こえないほうが良かったんじゃ?という思いが心の中であったことでした。

母親が音が苦をやっていた

自分が小学校の高学年の頃になる時、親が離婚して母親がある楽器を演奏するようになりました。それは家の中でも暇さえあればずっとやってました。自分はその音がすごい嫌いでした。だからその音を聞かないように補聴器のスイッチをよく切っていました。しかし、中学の頃になって自分の部屋が持てるようになったのですがそこが母の練習部屋でした。家の間取りの関係上どうしても避けれなかったのです。

音楽は「音が苦」にもなる

学校から帰ってくるとよく昼寝をする自分には(聴覚障害児は普通の学校に通っていた人ほどよくグッタリして昼寝をする人が多いのです)自分の部屋で勝手に練習されることにすごいストレスを感じてました。そして自分の聴きたい音楽も聴けないことがよくありました。(聴覚のもあって音楽はすごい好き嫌いがありました。CDとかもよく買ってて2~300枚程持っていました)大学入学すると同時に実家を離れましたがこの時に2度と母親と暮らすもんかと心に決めたの言うまでもない。とにかく母親のやる音が苦が自分には凄いストレスになってたのです。その楽器すら見たくも無いのです。また、この母親のやっていた音が苦が、兄が統合失調症になった原因の一つでもありました。そのこともあって否定はできないと医者には言われました。

中途半端に聴こえる苦しみの理解の無さ

今まで何個かそういう記事を書きました。そして、それはサポートや苦しみを理解してもらえないことも多々ありました。自分は思春期の頃からずっと違和感を感じていました。何でこんなに苦しまないといけないのだろう?と。そして、18の夏に自分より障害がひどい聴覚障害者に会った時に初めて悟りました。あぁ、自分も聴覚障害者なんだなって。だけどその人ほど悪く無かったからほとんど会話のサポートを望んでも受け入れてもらえなかったことで自分だけが話が分からず変に孤独感を強く感じていたんだと。

カクテルパーティー効果と聴覚障害者の脳の働き

健聴者と1対多人数で話す際の問題

 

いつか耳が聴こえなくなるというのはあった

16の時に右耳がダメになって以来、いつか左耳もそうなるだろうとある程度予測はしていました。同時に聴こえなくなる恐怖もありました。そしてそうなったらもう死のうと心に決めてもいました。結局、このままじゃ死にきれなくて今も生きてますがね。ただ、16の時からそういうのを感じていたので高校時代は本当にひどく鬱になっていろんな人に迷惑をかけました。本当は30になったら仕事辞めて蒸発して海外に行って死んでやろうかと思ってましたが結局早めに耳が悪化したのと仕事辞めて国内各地を旅するようになったので死のうという考えは当分無いのでご安心を。

耳鳴りがするようになった

これが今の自分のかなりの悩みの種です。聴覚が悪化してからそれからずっと耳鳴りがするようになりました。自分の耳鳴りは何らかのメロディーみたいなのがずっと鳴っています。これはたぶん、自分が音楽を聴きたい欲求があるからだと思います。耳鳴りは残念ながらずっとなっており、補聴器を着けてると更にひどくなっていました某所の耳鳴りを治すとこで有名な専門の病院にも行きましたがかなり耳の状態(聴覚、聴力共に)が悪いこともあって治療は断念せざるを得なかったのです。そしてこれがもともと持っていた不眠症を悪化させる原因にもなりました。

実は海外では耳鳴りがひどい患者さんがいてその治療を担当していたお医者さんを銃殺した事件がありました。あまりにも耳鳴りがひどくなかなか治らないことから。それほど苦しみの元になるのです。そして、この耳鳴りの治療は難しいというのが現状なのです。

聴こえなくなったことで頭が悪くなりました

集中力、話の仕方、理解力、物覚えなど頭が悪くなりました。集中力は単に耳鳴りの問題もあります。話の仕方は耳から音声が入らなくなり話の構成力、進め方などが衰えていきました。そして理解力も耳から入らないことから文章や文字から読まないといけなくなりこれもかなり悪くなりました。自慢じゃないですが割と頭は悪く無いです。だけど、やはり悪くなったというのは嫌でも分かるほど痛感しています。日本語もそうです。使わないとだけじゃなく脳に入らないと良くならないのです。

いつかは話すこともできなくなる可能性もある

医者から言われましたし、言語や話すことの仕組みも分かっているのでそこはやっぱりそうなんだろうなって感じています。耳から言語が入らず脳に届かなくて、ずっと話さなかったら話すことも忘れることがあり得るんだと。そういった意味で自分は話せるほうだから人口内耳の手術も受けたほうが良いとも言われました。話すこともできなくなるのか…。

人口内耳の手術

正直、今は受ける気は無いです。まず、成功率は基本的に半々といったところ。医療費もいろいろある。(助成金とかおりると思うが)また、頭部に衝撃を与えるような行為やスポーツは禁止になる。いわゆる球技関係や格闘技とかである。個人的にはこれがきつい。以前、フットサルで脳震盪を起こしたことがあるから。何より聴こえるようになったとしても中途半端に聞こえる苦しみを嫌というほど知ってるから。聴こえにくいことには変わりは無いし、そのサポートや苦しみの理解に手を差し伸べてくれるとか限らないのだから。

聴覚障害に関する問題は想像以上に複雑で厄介だった

自分が耳の事で何故こんなに苦しまないといけないのかそんな疑問から聴覚障害に関する問題をいろいろ調べたら非常に複雑で厄介でした。単純な障害の問題に関する視点じゃなく教育学、社会学、文化人類学、臨床心理学…そういった意味でいろんな視点からの考察が必要だということが分かりました。だから、あまりにも複雑すぎて専門の本や資料も一般にはほとんど出回ってなかったり、単に出版している本が少なかったりしているのが現状だったりしているし、何より当事者である自分自身でも難しく感じたりする程なのである。何より個人差が大きい障害でもあるから、尚更、個人の感覚で問題を捉えてはいけないのである

望まざるを得なかった

耳が聴こえなくなったことは確かに自分自身が望んでいたことだから自業自得と言う人も出てくるだろう。しかし、僕はそう望まざるを得なかったというのが本音です。聴覚障害者の問題を調べていくうちに教育学や社会学、臨床心理学など、そういった分野からでも見ていくと中途半端に聞こえる悩みや問題がいかにサポートされてなかったのか解決されてなかったのか放置されていたのかが非常に出てくるのです。そしてその問題を見送ってたり間違った解決法を出したりしてたのは、当事者の周りの健聴者の大人の人たちばっかりでした。

聴覚障害者の問題を解決するのは健聴者の協力も必須です。しかし、当の聴覚障害者の問題を解決する手段の決定権は聴覚障害者なのでは?いや、仮にあったとしてもそれを間違った誘導をしていることもあり得るのだ。そんな状況でも自業自得で言えるのか?そういう状況の中でこのまま中途半端に聞こえるままで良いのか?ずっと解決されないその悩みをこの先死ぬまで抱えないといけないのか?だから僕はそう望まざるを得なかった。完全に聴こえなくなったほうが良かったんじゃないのかって。そしてそういうふうな社会にしたのは誰だ?ずっと見向きもしないで安易にそういう決めつけをする社会にしたのは誰だ?いつまで個人責任論を掲げているのだ?僕ら障害者のことを何にも分からん奴があーだこーだ言って決めつけるな。

音の無い世界は退屈だった

聴こえなくなって自分が一番感じたのはこれでした。音の無い世界ほど退屈なものは無いんだと。自分が生きている感覚がほとんどなくなりました。昔から自分が生きている感覚がちゃんとあるのか危うかったのですが、これが本当に決定的になり、その感覚がなくなり退屈と感じるようになりました

かの有名なヘレンケラーが残した言葉があります。「耳が聞こえないことは、目が見えないことよりも、より痛切で、より複雑なことです。聾は盲目より不運なことです。なぜなら、それは、最も重要な致命的刺激を失うことを意味しているからです。つまり、言語をもたらし、思考を活性化し、人間同士の知的交際を可能にするのに欠かせない、声という最も重要な音刺激を失うことになるからです。この言葉に集約されているのです。

手話はできない

よく聞かれますが手話はできません。聾学校とかに通っていなかったので、手話より日本語が第一言語となります。というか、よく誤解されることがあるのですが聴覚障害者全体で手話をできる人はよくて2~3割ぐらいだと思ってください。そもそも手話は世界共通じゃないし日本で使ってる手話も2種類あるしややこしいのです。

音や振動に敏感になった

聴こえなくなったのに?って疑問に思う方もいるでしょう。逆に聴こえなくなったからなんです。普段からほとんど音が無い世界です。つまり音に無い世界になれてしまい、音や振動に慣れてなくなったからなのです。僕がよく感じる不快な振動は扉の開け閉めが身体に伝わることでした。それも見るからにうるさく開け閉めするような感じでした。また、以前はよく行ってた個人居酒屋ではカウンターにグラスを叩きつけるような感じで置くことやカウンターをバシバシ叩く度に振動がこっちにまで伝わり不愉快極まりなかったのです。つまり、普段音の無い世界に慣れてしまい、ある程度の大きさを超えた音や振動が伝わるとビクってなるのです。某シェアハウスでもこれが災いとなり寝れなかったことが多数ありました。

好きな音楽が聴けなくなったのが心残り

さて、聴こえなくなったことで特に残念なことは無いかと聞かれると、このことが真っ先にあがります。自分がよく聴いていた好きな音楽が聴けなくなったことです。そして、少しずつそのメロディーがどういうのだったかその曲のタイトルなんだっけ?歌手だれっだったかな?と、うろ覚えになり、最終的に忘れてしまうのです。僕が良く聴いてたのはサニーデーサービスや小松未歩やガーネットクロウなどのGIZAスタジオの歌手、ギターの押尾コータロー、小瀬村晶等。(敬称略)また、ゲームも昔はよくやっておりそのBGMもよく聞いていました。けれど、それも少しずつ忘れていくのです。昔やったゲームの動画を見返す度にあれ、ここのBGMどんな感じだったっけ?って時々なるのです。もう思い返せないのが時々あり辛いのです。だから僕から音を奪うきっかけになった親の音が苦が余計に嫌いになり親と一緒に居たくないのです。

電話が意味を無さないようになった

まぁ、これは当たり前ですよね。聴こえないのにどうやって電話しろと。でも、これが結構厄介でした。病院や公共施設の予約ができなくなりました。未だに予約は電話か直接来るかでしか受け付けてないところが多いんですね。電話番号は持っています。何故かというと大体のサービスや契約は電話番号必須だからなのです。車両保険や賃貸物件とかもそうです。だから未だに携帯電話を解約できないのがクソむかつくのです。LINEもそうだし。一部のネットサービスも電話番号やSMSの認証があってその度に地団駄を踏むのです(PHSなのでSMSができないし、今更新しい携帯電話など買う気にもなれないし)タブレットは格安のSIMフリーのを使っています。

まぁ、こんなもんですかね。他にもいろいろあるけどとりあえず、こんなもんです。聴こえなくなった原因とそれによって困ったことですね。最近は旅自体も楽しめてないのもあって余計に生きてる感覚が無く退屈さを感じてるのが現状です。

では。