聴こえない自分が旅を楽しめない理由

こんにちは。流です。

最近の旅のブログを見てもやっぱりつまらんなーって感じてたし、周りからもいろいろ指摘されたり心配されてたりしておりました。結論から言うと旅はやっぱり楽しくないです。というか楽しめてないのというのが現状です。また、思っていたよりも疲れます。ストレスで胃潰瘍にもなりました。なので、今回はそこらへんの話を。

退屈さをどうしても感じる

実は旅をする前からこのことを感じていました。そしてずっと懸念もしていました。たぶん退屈さは絶対どこかで感じては消えることはないだろうと。で、まぁ結局、その懸念は見事に的中していました。この退屈というのはやっぱり自分でも分かってたし原因も原因だからどうしようもなかったという感じです。原因は聴こえないことです。

聴こえないことが起こすこと

まず、情報が入りにくいのです。他人が話してることが分からない。 コミュニケーションがまともにできない。公共の音声ガイダンスだけじゃ内容が分からない。車のクラクションやエンジンが聴こえなくて外出や移動は要注意。飲食店でも注文や聞きたいこととかいろいろあるけどそういうのも割と大変です。地方のスーパーで総菜とかよく買うことがあるけど箸いりますかとかの声も聞こえないし、それで無視しちゃうこともあって箸もらえないし。

いろんな人に会う時にお願いするのがめんどい

シェアハウスを転々としたり旅している以上、いろんな人に会います。その度に自分が聴こえないことを話さないといけませんそして、筆談なりスマフォなり、PCのタイプなりで文字化してくださるようお願いしています。しかし、毎回それをやるのも時々うっとうしくなります。だから耳が聞こえないのカードを胸にぶら下げていますが。

3人以上の会話からはぶられやすい

はい。これですね。自分は耳が聴こえないことからどうしても会話の内容が分からず会話に入れなかったことが多々ありました。これが思ってたよりもストレスになってました。これに関しては昔からあって慣れてるがやっぱりストレスですね。問題はその場から離れることができない場面が結構あって、自分はその場だけにずっといて空気のような感覚でした。

端っこでポツンとなりやすい

上記のことからこれがよくありました。そして、ただひたすら、黙って飯食うか酒を飲み続けるのです。(大抵そういう場は何か食べるか飲むかだから)その場にいるのにその場に参加できてない感覚がはっきりと感じるのです。更に言えば他の人が話してる有力な情報も自分にだけ入ってこなくて旅先でどこ見たら良いのかも分からなくなることもあります。また、明日こういうのやるよーとかで住人の方が何かやる情報を逃してしまい参加できなくて地団駄を踏んだこともよくありました。

3~4時間以上の拘束をされる

そして、有力な情報をほとんど得られずに時間だけが過ぎていくのです。その場にいるだけなのにほとんど拘束されます。ある地方のとこに行った際に4時間ぐらいその場に付き合わされました。全然話が分からんのにずっとその場にいないといけない。これほど時間をムダにしないといけないかが相当なストレスになってました。まだ、文字起こししてくれるならともかく、筆談すらせず、1人が延々と1~2時間も話す場面にも合いました。そんな場面なんてはっきり言って聴こえている人でもストレスにならんのか?って思ったのです。

驚くほど文字起こしをしてくれる人がいない

そして、これが何よりも辛かったのです。ある程度の人数の場でも1対1だと筆談とかで話せますが、他の人たちが話している内容を文字起こししてくれる人は残念ながらほとんどいませんでした。ギルドもBig-Eも共生舎もギーク関連でもそうでした。200人以上の方と会ったのにしてくれる人は本当に1割にも満たしませんでした。こんな状態で人と会って多人数の場で何を楽しめというのかが逆に分からなくなるのです。結局1対1で話すしか無くなるのです。いや、中には口だけで(特に読唇術で)会話しようとする人がいてこれが特に厄介なのである。こうなるともう、自分はその人に対してこれ以上話したくないと感じるのです。

コミュニケーション不足

こうなると否が応でもコミュニケーション不足になるのである。そのシェアハウスに長く、あるいはその地方に居たいと思わなくなることもたまにある。長くいてほしいって言われることは結構あるけど、たぶん物足りなさ、退屈さがあまり良くない。よく、移住とかで静かに暮らしたいというのは分かる。ただ、少しはまともなコミュニケーションができる場は必要だと思う。しかし、今の自分はこの場があまりにも少なすぎるのである。その場に参加しても結局他人が話していることが分からなくコミュニケーション不足になるのである。正直長く居てほしいなら少しは工夫してほしい。まともなコミュニケーションをとれる場に。これは聴覚障害者じゃなくてもそうじゃないのかって思う。

楽しむのはゲームや漫画とかあるいは何らかの行動になる

そして、結局最終的にはこれになるのです。人との会話が楽しめないのならこれに逃げてしまうのです。だからボードゲームや麻雀とかもよくやるのです。あとは身体を動かすことです。身体動かしてる時はムリに会話する必要も無いし。マキ割りとか、雪かきとかDIYとか畑作業とか。これらなら会話しなくても多少身体動かしてる分、楽しめるからなのです。しかし、毎回そういうのに逃げれるわけでも無いのです。人数がそろうか分からないし、何より相手もやる気になるのか分からないからです。また、そういうものがそろってないとこも割とあるからなのです。

 

観光施設は字幕が不十分なのが割とある

これも結構厄介でした。今でこそ障害者差別禁止法が施行されて聴覚障害者用の案内や字幕とかはつくところも出てきましたが観光するとこではやはりそういうのが不足しているのも否めなかったのがありました。あるところでPVや短時間の放映とかそういうのを流すのがあったのですが肝心の音声が聴こえないことと字幕が無かったことから内容が見た目でしか想像するしかなかったのです。また、ガイドさんがいても基本的には筆談応じてくれても少ししか話してくれないのです。(筆談のめんどくささもあって)お金払って入場してるのにこういうのはもはや文化的な差別じゃないのか?って時々思うのです。

電車やフェリーでも表示板の案内が無いこともある

大体は車移動ですがたまに電車を使うこともあり、電車の中で「まもなく〇〇駅です」という案内が車両ガイダンスしか案内してないこともあり結構困ることもありました。つまりどの駅だか判別しにくくて乗り過ごすことがありえるのです。それで電車の中とかだと気軽に寝られないこともあります。これはフェリーの到着案内もです。ただ、フェリーの場合は電車と違っていくつも寄るというわけではないので、その分楽ですが。このことから、必ず到着時刻を確認してその直前にはソワソワしてしまうのです。着いたという音声の案内は自分には聴こえなくて届かないのだから。

旅先での外出や旅先までの移動はすごく神経を使う

そして、これも疲れる原因の一つですね。耳が聴こえないということは車のクラクションやエンジンの音、走る音もわからず車が近づいているのに気付きにくいのです。特に視界に入ってこない方向からです。だからよく、周りを見るのですが何せ後方を見るために首を振りまくるのである。命の危機でもあるから、すごい神経使って気を付けるのです。車ほど身近な巨大な凶器は無いと思っているので。だから思ったよりも疲れやすいのです。

人に会うのも旅の目的である

旅するにあたっての目的はいくつかあるがその地方やシェアハウスに住む人に会うのもその一つです。どっちかというと観光はあんまり好きじゃないです。何故かというとその観光はその地方の人には割とどうでもよいと感じていたり知らない人も割と少なくはないのです。観光自体は否定しないのですが自分にはあんまりウーンにしかならないというのが現状です。だから行きたいとことかもあまり事前に調査しないのです。オススメされたとこは割と行きますが。北海道行った時に景色が良かったことやケンケンさんにあんじゅ先生と一緒に案内をされたのはすごく覚えてますし感謝しています。まぁ、景色より誰かと一緒に行ったほうが自分には大事なのかもしれない…。

かまってちゃんだろうなのか

で、まぁ、上記ので自分はかまってちゃんだろうなのか?って時々自問するわけです。これがまた悩みの種というか思ってたよりもストレスになり行動の妨げにもなっているんですよ。いやまぁ、同じ場にいて集まってる時ぐらいの話は知りたいし、何かやるなら自分にも知らせてくれるよう展開してくれないかなーって思うのです。自分ら聴覚障害者だって情報得てやりたいと思うこともあるのにそのきっかけさえつかめないのはちょいと辛いんですよね。やってほしいからとかやらなくてもいいからとかは別として。

聴こえないことをいいことに悪口を言われた

どこでだかは言いませんが実はこれありました。自分の目の前で言ってたようです。その場にいた別の方から聞いて他の方にも聞いて最終的に本人に問い詰めたところ認めました。これがかなりショックでしたね。内容はたいしたことなかったけど、その行為自体がショックでしたね。自分が聴こえないことをいいことに目の前でそれも他の人に悪口を言ってたんですよねぇ。直接、自分に言えや!!って思った。自分に非があるなら謝るし直すからよ。

とにかく、旅をする前から懸念していましたがやっぱりなぁって改めて分かったのです。これが日本なんだなぁって。聴覚障害者の現実を見ないし、聞こうともしないんだよね。それは手話ができる人でもそうだった。何人か手話ができる人に会ったけどできないという旨を伝えたらそれ以降その手の話も聞かれなかったのです。結局、障害に関する部分に入るのは半ばタブー化されている風潮もあってか人は事実を見たいようにしか見ないんだなぁって。

今まで会った人には申し訳ないけど正直楽しめてなかったのがあるし、割と人数いる場での会話は本当にストレスというよりは虚無感がすごく半端なかったんですよね…それに伴う拘束も。今いるギーズミではグループチャットで皆打ってるからすごく助かってるんだけどね。障害者専用のシェアハウスはそんなに聞いたことないけど…ただ、シェアハウスが必ずしも障害者にとって良いのかどうかはすごく疑問に感じているのが現状。時には自分はシェアメイトの1人なのだろうか?本当に歓迎されてるのか?って思うこともある。もちろん俺が聴こえなくてずっとその場での会話に対してどうしてほしいのか、そういうの黙ってたから皆は対応しにくいのもあってこっちにも非があるのは否めないが。

とりあえず、少し落ち着こうと思います。

では。