1年半旅をして感じた事

こんにちは。流です。

去年の春からあちこち旅に出て旅先で2回目の年越しをすることになります。去年は新潟県のギルドハウス十日町。今年は和歌山県の共生舎になりそうです。旅してていろんな人に会って少しずつ話を聞いていくと自分がずっと前から少し疑問に感じていたことが徐々に大きくなっていきそしてそれに対する考えも少しずつ溜まっていたのでここら辺で一度まとめます。

シェアハウスを転々としていて

シェアハウスをいろいろと回っていきました。共生舎、ギルドハウスやギークハウス系列、Big-E等。その中で家庭のあり方に疑問を持つ方も少なくないということに気付きました。そしてこれは自分が長年感じていた疑問でもあります。ギークハウスやニート系でかの有名なphaさんが言っていた、「シェアハウスは家族よりマシ」ということが良く分かります。

シェアメイトは他人

よくシェアメイトは気にならんの?って聞かれますが、確かに一つの屋根で複数人と暮らしてればシェアメイトのやることには良い意味でも悪い意味でも少し気になります。しかし、結局は他人なのです他人だからこそ最低限のマナーや気遣いは必要だと思います。もちろん性格や人間性が合わない人も出ます。これが家族だと「家族だから」との一言でそういった気遣いやマナーとかが崩れることが良くあります。

家族だから当然という疑問

自分が長年感じてきたことはこの「家族だから」「親子だから」というのがずっと違和感を感じていました。子の言うことを、疑問に感じていることに対して蓋をするようにこの言葉を投げる親御さんは少なくないでしょう。例えば「心配だから連絡しなさい」に対して「何で?」って聞いてもこれだけで済まされるのです。「正月ぐらい戻って来なさい」とかも、その例です。また、冷蔵庫にある個人の物を入れてたら勝手に食べられたというのもよくあるでしょう。これも「家族だから」と済まされやすいのです。食の恨みは割と根が深くなりやすいです。もっと細かいのをあげればキリがないでしょう。単純に自分が干渉されるのが嫌いなのと神経質気味なのもあるからかもしれませんが。

世の中にはまっとうな人間には想像もつかない事情だってある

「世の中にはまっとうな人間には想像もつかない事情がある。他人が口出せることじゃねえ」これ、とあるゲーム(もう7年ぐらい前のゲーム)の中でのセリフですが本当にその通りだと思います。旅をしてていろんな方に会いました。また自分が昔、蒸発した頃にある施設にいた頃すごい環境の人もいました。親に背中を刺されたとか。そこにいた人たちはろくでもない親とかが多かったのです。そしてそのことに他の家族が口を出せることはほとんどできないのです。「家族だから」、「親子だから」とかそれで親がやってきたことを許せとか済ませとかそういうのはもう聞き飽きました。あなたの言う家族というのは何ですか?

日本の殺人事件は半数以上が親族内である

近年、国内で目を引く殺人事件は先の座間9遺体事件、相模原障害者殺傷事件があげられると思いますが、実は日本で起きてる殺人事件の半数以上は親族内で起きているのです。これらは家族がである故になってしまうからこそ起きてしまうのも事実なのです。ところがこの現実は意外と知られていないのです。先日、某所でこのことを話してしまったらそれを聞いた方が思わず泣いてしまいました。哀しいことかもしれないのですがこれが現実なのです。

家族からは余程の事が無い限り逃げきれない

例えば、家族の一人が一晩連絡もせずに帰ってこなかっただけで家族は捜索願を出すことが出来ます。そうすると行動を制限されることがあるのです。警察に身分証明聞かれるだけで即家族に連絡されて強制送還されます。住所を変更しても戸籍は変わらないし、結婚や養子縁組しない限り籍は抜けられないので居場所がバレやすいのです。最近はSNSの普及により行方不明者の捜索願いとかも出されやすいのです。虐待とかにより家庭裁判所とかで接触禁止令が出ない限り逃げにくいのです。人間関係で知人や友人はある程度、人間性がひどいと関係を切りたいと思う方も多いし家族よりは関係を切りやすいでしょう。しかし、家族ではそういうのがとにかく難しいのです。しかも、長い間見てきたからその人のダメさというのが本当によく分かるのです。自分が家族の在り方に疑問を感じてるのはこれが原因なんです。親の人間性がまず受け入れられないのになかなか人間関係を切れないことに苛立つのです。

法は家庭に入らないという方針での法律がある

例えば家族内での窃盗は刑を受けなくても良いというのがあります(詳しくは親族相盗例でググってください)これは法は家庭に入らないというのがありますが自分は家族内での窃盗はよくあることでそれに一々罪にしてたらキリが無いのと家族内で解決するようにというめんどくささというのもあるからではというのが自分の見解だと思っています。

家族と縁を切ると優しくない国

家族と縁を切る際によくある問題が保証人です。何故かというと大体の会社では保証人が必要になると思います。また、その保証人は第3等身以内に限るというのがほとんどの条件でしょう。で、これがまた厄介でいわば親、夫婦あるいは叔父叔母までの範囲内なのです。つまり家族と縁を切ると保証人を用意することができず、職に関する部分である程度制限されてしまうのです。この保証人問題で過去に何人もの人が仕事を諦めた方も結構見ました。また、アパートとかを借りる時、保証人がいない場合、契約金が高くなります。その差は大体10~30万ほど。

家族は見えない檻、あるいは鎖というか足枷

近年、親の介護で離職するという方をいろいろと見てきました。また、やりたいことに家族が反対して泣く泣く諦めるという方も見てきました。これは家族が原因で自分のやりたいことができないという典型的なパターンです。また、子育てでも保育園入園できないという問題もあります。主婦が仕事できにくいのも足枷の1つでしょう。障害者の家族、あるいは難病者の家族もそれぞれが足枷になりやすいこともあり、それが虐待や殺傷事件にまで及ぶこともあります。介護疲れも今後多く出てくることでしょう。

人は事実を見たいようにしか見ない

では、何故こういった事実がいかに知られてないのかについて疑問に思う方も多いでしょう。実は人は事実を見たいようにしか見ないからのです。

先のツイートのように今、日本が抱えてる問題やそういうのに目を背けるのも多いのです。感情でその現実を見ないようにすることが多いのです。家族における現実、その部分で楽観的にとらえてしまう人が多くまさにこういう人のせいで子供たちが苦労しやすいのです。親や教師が教育に関して危機感を持たなすぎるのもあるでしょう。あるいは持っても行政や組織上の都合でどうにもならないというのもあるからでしょう。ただ、仕方が無いで済む問題ではないのに考えるのを諦めてしまうのはどうかと思うのですが。

感動ポルノ

事実を見たいようにしか見ないのは例えば障害者における在り方や見方もそうです。よく障害者が取り上げたのがテレビとかで放映されることがありますよね。感動ポルノです。いわば成功例とかを見せて感動させるものです。しかし、本当はその裏にはたくさんの問題や哀しい現実があるのですがここにクローズアップされることは少ないのです。いや、成功例自体はそもそもほんの一握りしかにすぎないのである。そして大人たちはこの成功例というまやかしにしかすぎない部分を見て楽観的になったりしてることが多いのです。哀しい現実や問題があるのに見たいようにしか見ないのです。そして放置されるのです。

一部の成功例が他の者にまでできると思い込む

そういった一部の成功例だけが出てきてはできた人がいるんだから他の者もできるんだと思い込みそれがその界隈にまで全体に無理に浸透させようとしたりするのである。現に障害者に関する文献を見ると昔の本であればあるほどそういった成功の部分しか書いてないのが多いのである。そうして成功できなかったものが実は水面下に今までずっと潜んでたんですね。

最近になって頻繁に問題が出てくるようになったのは何故か?

SNSやネットの普及に伴い、様々な問題が露見されてきてるからだと思います。ただ、それらは実は今まで公になってなくて隠れた事実だったからでしょう。また、こういう問題や哀しい現実は見て見ぬふりしてきて事実を見たいようにしか見ないことからその問題となるサインも見過ごしたのでは無いかと思うのです。これからもどんどんあなたの知らぬ現実が出てくるでしょう。

想像力の不足

そして、こういう問題認識における想像力の不足というのがあります。実はこういう問題を知らせようとすると必ず「信じられない」と言う方がおります。はっきり言います。それはその問題において想定できなかったということです。つまりその事態を想定、あるいは想像することができてないのです。先における成功例の部分を見てそれで大丈夫だと思い込む方は圧倒的にこのパターンが多いのです。そして事の本質を見抜けてない方が非常に多いのです。

面倒くさがり

さて、今までいろんな問題を出しました。負の現実です。しかし、何故、そうなったのか自分は最終的に人の本質でもある面倒くさがりだと思います。今の技術が出来ているのは人が本来持つ面倒くさがりの性質から来てるのです。つまり楽したいからです。確かに物理的な問題に関しては楽さの技術は発展してきたと思います。しかし、社会的な問題が今、山ほどあり、そして出ている問題は氷山の一角にしかすぎないと思っています。

面倒くさがりが引き起こす物

これが先ほど言った事実を見たいようにしか見ないことを引き起こすのです。また想像力の不足も起こすのです。つまり考えるのが面倒だし、問題は何とかなるだろうと思い考えることすら放置してしまうことが多いのです。そしてそれに気づいた頃には大体が手遅れになるのです。隠蔽や車のリコールとかもそれの典型的なパターン。障害者とその家族の不和が引き起こすのもそのパターンなのです。

無知の知

これはかの著名な池上氏が言ってたのですが無知であることを知るということです。この世の中にはまだまだ知らないことがいっぱいあることに気付いてない人が多いのかなと思うのです。だから何かを知ろうとしてなく何かを見ても見たいようにしか見ないんだと思います。そして考えないのだと思うのです。世の中にはもっといろんな事実があるのだから如何に自分が無知であることを分かってないといけないでしょう。

以上、自分がいろいろ感じてきたちょっとしたヘビーな内容でした。

では。