健聴者と1対多人数で話す際の問題

こんにちは。流です。

前回前々回の記事で1対1で話す場面での問題をとりあげました。

ここからは聴覚障害者1人に対し、健聴者多人数での場についての問題をあげます。そして、この問題は多くの聴覚障害者が経験することでもあり、非常に厄介なのですがその問題が未だ知られてないことが多く、それが多くの聴覚障害者を悩ませることにもなっています。

聴覚障害者1対健聴者多数の場面は意外と多い。

実は聾学校に通う、あるいは通っていた聴覚障害者は普通校に通っていた聴覚障害者よりも少ないのです。これを逆に言うと健聴者の世界である普通校の学校に通っていた聴覚障害者が多いということになります。そういう人たちは聴覚障害の界隈ではインテグレートと、呼ばれています。インテグレートはその後の生活でも仕事なり日常生活なり多数の健聴者の世界にいるのが大半なのです。そうなると必然的に聴覚障害者1対健聴者多数の場面が出てくるんですね。

ちなみにこのインテグレートはインテグレーション教育(統合教育)と口話教育主義が起こしたものではないかとも自分は考えています。(現在、そこの部分は調査中、というか資料が不足)尚、インテグレート(integrate)という意味は統合化、正常化、そして完全化という意味です。この完全化や正常化という意味がちょっとモヤモヤしますね。さて、どういった場面で問題なのかをあげていきます。

職場における会議

会社とかで働いている人は真っ先にこの場面をあげるでしょう。インテグレートは普通校で育ってきたためある程度の聴力と発音はできるかもしれません(個人差があるのでそうとも言えないこともあります)しかし、会議では他人の発言が聞き取れにくいことがあります。まず、会議になるとそれなりの人数が集まったりすることもあり話している人と距離が出てしまうこともあります。またそのことから部屋が広く音が響き渡らないこともありえます。こうなってしまうとその討論されている内容がはっきりと情報が入ってこなくなり、ちょっとの情報から勘違いしてチンプンカンプンな答えやあいまいな答えをしてしまうこともあります。

また、仮にほとんど聞こえず筆談が主体の人だと、どうしても筆談の手間と時間がネックになり討論においての発言のタイミングを逃すこともあります。時には筆談をしてくれる人がいなく、情報を得ることもできないことも。そうなるとその会議に自分が参加している意味はあるのだろうかと思ったりすることもあります。

飲み会や外食などの飲食店

続いてはこれ。これもよくある場の一つで悩みどころでもありますでしょう。これは上記の会議よりももっとひどいです。それは周りがにぎやかでうるさいことでしょう。周りがうるさすぎて肝心の発言者の話が聞こえないというのはよくあります。そして場を濁さないために聞こえてたフリをして適当にあいづちしたり作り笑いをすることになります。そうして黙ったままになりやることがないので箸や酒が進むことも。たまに気を遣ってか他の方が話を振ってくることもありますが何せ肝心の内容が分からないのでどう答えたらいいか分からずむしろ話を振ってこないでって思う人も出てきます。1対1で話してるなら、ある程度聞き直せるかもしれないけど複数人だと聞き直すのも腰が引けてしまう方も少なくないでしょう。そもそもこう言った場面での聞こえ方と脳の働きは健聴者と違うのである。そこら辺は別記事であげます。

学校

続いては教育面となる学校。先にあげたように健常者と同じ世界である普通校に通う聴覚障害者、つまりインテグレートは多いです。そして、ここでは大半が口話となります。または筆談になったりすることもあります。手話を使う人はたまにいるようですが少ないと思います。

まず、授業。教師の話が聞こえにくい。また、なるたけ話を理解するよう口の動きとかいろいろと注視するのだがこれが地味にきつい。黒板に書きながら話す人もいるし、教科書で見えなかったりましてや下や横を向きながら話す人もいる。というかそもそも読唇術なんぞ労働のわりに成果が期待できないのである。注視していろいろと話しを聞こうと精神的に力をいれるのですが、得た情報が少ないことから返って疲労感が増してしまうのである。それこそがインテグレートを悩ませた通学の疲労にもつながるのである。現にインテグレートは学校から帰ってきた後、ぐったりしてる方も少なくないし自分も学生の時はよく帰宅後に昼寝をしていました。この辺のことは脳の働きのこともありますのでそこら辺も上記のように別記事にまとめます。というか学校に関することは長くなりそうなので1つの記事として別にまとめにします。

家庭内、寮、シェアハウス

さて、家庭内や寮あるいはシェアハウス。これは結構重要です。何故なら学校や仕事以外に一番居る場だからです。これで心を休めることもできればできない人もいて、自分は完全に後者でした。

聴覚障害者と話すと会話が面倒に感じる人は家庭にしろ社会にしろ必ずどこかにいます。話が通じない。声が変で聞き取れない。筆談がめんどくさい。文字起こしもスマホなり、タブレットなりPCを使わないといけなくその機器を常に持ってないといけない等。また、手話を第一言語として使うのなら家族も手話を覚えないといけない。こう言ったことが原因で家族の不和というのは残念ながら無くならないのである

食事で自分以外と話してて聞こえないからその内容を聞くと「あなたには関係ないことだから」と、話の内容を教えてくれずそっちのけで話し続けることもあります。また、家族内で予定してた行事(お出かけや外食など)の知らせなども意外とその行事に参加できなかったり予定の変更を聞かされなかったりで子どもからするとこれが次第に溜まっていき爆発することがあります。本当に自分は家族の一員なのだろうか?と思ってしまうんですね。

で、シェアハウスを転々としてる自分としては残念ながら食事などで他の人が話してる情報を共有してもらったことはあまりありませんでした。ただ、飯を食っているだけの感覚なんですね。そこはやっぱり寂しいもんです。また、明日何々やるよとかシェアハウスに来た人達からいろんな情報が入ってこないことも時々あり悶々とすることもあります。だからそういった場合はグループLINEやメッセンジャー等を使ってなるべく行事とかは共有するようしてます。口頭だけだと単に聴覚障害者だけじゃなく健聴者間でもいろいろと間違ったり聞こえなかったりしてトラブったりすることもありますしね。

イメージと影響

さて、こう言った場面であなたは聞こえなかったらどうなるかをイメージしたことがありますか?話の内容が分からなくて話に参加できず、ただその場にいるだけという感覚になりえます。下手すると自分はここに居る意味はあるのか?自分の居場所はここにあるのか?と悩むのです。どうか分かって頂きたい。聞こえない人がその場で何で笑っているのか?本当は聞こえてなくてどう話したら良いのか分からなくて場を濁したくなくて作り笑いをしてるのかもしれない。本当にあなたは聴覚障害者にちゃんと伝えようとしてますか?その手段はその人にとって本当に最適なのか?

不特定多数の人と接する時、自分は「聞こえません」ということを毎回のように説明しないといけないのです。そして、それを言うこともたまに嫌になることで人と接するのに億劫な人もいるのです。だから自分は耳マークと「聞こえない」ということのカードをぶら下げています。

そして影響。はっきり言うと心理的や人格の形成、そして人間関係にまで影響します。まず、自分が本当に存在しているのかと感じることがあり、アイデンティティーの崩壊や孤独感も出てきます。障害によって起きる現象が個人の性格に責められることもあり、どんどん自分に対し悲観になったり屈折したりするのです。また責めてきた人に対し敵対心や恨みを持つこともありえます。心理的な影響はもっともっといろんな部分にまで与えます。それは今後、内容をもっと掘り下げつつ風呂敷を広げていけたらと、別記事にまとめます。ただ、心理的な影響も結局は見えないことから想像されにくいのと理解されにくいかと。それが問題でもなっています。

では。

“健聴者と1対多人数で話す際の問題” への1件の返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です